感謝
2015.04.07 18:36|ご挨拶|
久々の更新です。
あんなに待ち遠しかった桜の花も満開に咲き誇り春の訪れを感じる今日この頃。
やっと咲いたのも束の間昨夜の雨で大分散ってしまいました。

春の訪れは新しい出会いの季節ですが、その一方で散って行く桜のように別れの季節でもあるんですね。
私事ですが、去る3月28日に祖父(弘)がこの世を去りました。
晩年は施設と病院の入退院を繰り返し体調を崩す事の多かった祖父。
数えで88歳、無言の帰宅となってしまいましたが住み慣れた我が家にようやく戻って来る事が出来ました。
祖父との思い出を振り返ってみると、口数は少なく生真面目。ただ黙々と仕事をこなす人で、じっくり会話をした記憶がほとんどありません。
自分の事は話さないし、他人の悪口も言わず、不平不満や愚痴もこぼさなければ贅沢や無駄遣いもしない。
そんな人でした。
今の父の年齢(61歳)の頃はまだまだ現役で、工事の仕事に掛かりきりだった父に代わって灯油とガスの配送を一人でやっていたそうです。大変な重労働だったと思います。
丁度僕が中学生の頃に大きな病気を患って入院したことがあり、手術は成功したのですが腎臓を片方摘出しており、重いものはなるべく持たないようにと学校帰りや部活が無い日には手伝うようになりました。
その頃の僕はというと思春期の真っ只中で手伝わされるのもイヤだし、僕を呼ぶ祖父の掛け声はいつも「まさしこ~、まさしこ~行くど!」(まさひこが祖父の場合まさしこと訛る)この独特の掛け声にイライラ。
配達の車中はいつも無言でした。
あの頃助手席に乗っていた僕も今では祖父の運転していた車のハンドルを握るようになり、あの時どんな事を考えてたのかなぁなんて今になって思います。
入院中の祖父の様子は朝、夕と母が献身的に看に行っていたので、その日の様子を聞くくらいしか出来ず、正月以来ろくに会いに行く事もしなかったのですが、この世からいなくなってしまった今なんとも言えない喪失感で、家族が一人減ってしまう事がこんなにも大きな事なんだと身に沁みて感じます。
葬儀までの間は線香の火を絶やしてはいけないので数日間夜は付き添いました。
孫として祖父が元気だった頃から何一つ孝行出来なかったし、優しい言葉の一つもかけてやれなかったのでせめてもの想いからでしたが、それよりも祖父がまだそこに居るような気がして最後のお別れまでは一緒にいたいと思いました。
成人してから近しい人を亡くすのは初めてなので、気付かされた事や自分の考え方が大きく変わったような気がします。
亡くなってからも身を持って教えてくれるなんて本当に祖父は偉大です。
心残りと言えば、今年の桜ともっと欲を言えばひ孫を見せてやりたかったけど僕には出来ませんでした。。。。
祖父が息を引き取ってから丁度一週間の4月4日予報は雨でしたが、大して降られる事もなく無事葬儀を済ますことが出来ました。
お見舞い、通夜、葬儀とたくさんの方々に見送っていただき、思い思い祖父との思い出を聞かせて下さいました。
皆様に支えられ幸せな一生だったと思います。
家族一同心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
自分の番
うまれかわり死にかわり永遠の
過去のいのちを受けついで
いまここに 自分の番を
生きている
それがあなたのいのちです
それがわたしのいのちです

線香番をしたとき壁に掛かっていた相田みつをさんの暦より。
今の自分にグサリと突き刺さります。
婚活せねば
あんなに待ち遠しかった桜の花も満開に咲き誇り春の訪れを感じる今日この頃。
やっと咲いたのも束の間昨夜の雨で大分散ってしまいました。

春の訪れは新しい出会いの季節ですが、その一方で散って行く桜のように別れの季節でもあるんですね。
私事ですが、去る3月28日に祖父(弘)がこの世を去りました。
晩年は施設と病院の入退院を繰り返し体調を崩す事の多かった祖父。
数えで88歳、無言の帰宅となってしまいましたが住み慣れた我が家にようやく戻って来る事が出来ました。
祖父との思い出を振り返ってみると、口数は少なく生真面目。ただ黙々と仕事をこなす人で、じっくり会話をした記憶がほとんどありません。
自分の事は話さないし、他人の悪口も言わず、不平不満や愚痴もこぼさなければ贅沢や無駄遣いもしない。
そんな人でした。
今の父の年齢(61歳)の頃はまだまだ現役で、工事の仕事に掛かりきりだった父に代わって灯油とガスの配送を一人でやっていたそうです。大変な重労働だったと思います。
丁度僕が中学生の頃に大きな病気を患って入院したことがあり、手術は成功したのですが腎臓を片方摘出しており、重いものはなるべく持たないようにと学校帰りや部活が無い日には手伝うようになりました。
その頃の僕はというと思春期の真っ只中で手伝わされるのもイヤだし、僕を呼ぶ祖父の掛け声はいつも「まさしこ~、まさしこ~行くど!」(まさひこが祖父の場合まさしこと訛る)この独特の掛け声にイライラ。
配達の車中はいつも無言でした。
あの頃助手席に乗っていた僕も今では祖父の運転していた車のハンドルを握るようになり、あの時どんな事を考えてたのかなぁなんて今になって思います。
入院中の祖父の様子は朝、夕と母が献身的に看に行っていたので、その日の様子を聞くくらいしか出来ず、正月以来ろくに会いに行く事もしなかったのですが、この世からいなくなってしまった今なんとも言えない喪失感で、家族が一人減ってしまう事がこんなにも大きな事なんだと身に沁みて感じます。
葬儀までの間は線香の火を絶やしてはいけないので数日間夜は付き添いました。
孫として祖父が元気だった頃から何一つ孝行出来なかったし、優しい言葉の一つもかけてやれなかったのでせめてもの想いからでしたが、それよりも祖父がまだそこに居るような気がして最後のお別れまでは一緒にいたいと思いました。
成人してから近しい人を亡くすのは初めてなので、気付かされた事や自分の考え方が大きく変わったような気がします。
亡くなってからも身を持って教えてくれるなんて本当に祖父は偉大です。
心残りと言えば、今年の桜ともっと欲を言えばひ孫を見せてやりたかったけど僕には出来ませんでした。。。。
祖父が息を引き取ってから丁度一週間の4月4日予報は雨でしたが、大して降られる事もなく無事葬儀を済ますことが出来ました。
お見舞い、通夜、葬儀とたくさんの方々に見送っていただき、思い思い祖父との思い出を聞かせて下さいました。
皆様に支えられ幸せな一生だったと思います。
家族一同心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
自分の番
うまれかわり死にかわり永遠の
過去のいのちを受けついで
いまここに 自分の番を
生きている
それがあなたのいのちです
それがわたしのいのちです

線香番をしたとき壁に掛かっていた相田みつをさんの暦より。
今の自分にグサリと突き刺さります。
婚活せねば
